こんにちは。
あるとき、
「ご主人のことを晃子ちゃんのように明るく話す人って今までいなかった。みんな悪口ばっかりでさ。どうして好きで結婚した人の悪いことばかりしか言わないのかなって、ずっと思っていたのよ。」と友達に言われました。のろけた話をしたわけではないんですよ。私にしたらいたって普通の話でしたから、そんなふうに言われて驚きました。
確かに、女性が集まったときにご主人の愚痴をこぼす人は少なからずともいますよね。愚痴を聞くのは嫌ではないですけど、たまに...正直言って....ご主人が可哀想だなと思うことはあります。と言いつつ、自慢ばかりされるのも疲れちゃいますけどね。
あぁ、女性ってわがまま(笑)
『隣の芝生は青く見える』とはよく言ったもので、他人の暮らしぶりやご主人(ご家族)のことは気になってしまうものなのだと思います。
幸せは妬まれやすい
上記に挙げた項目は、私が今まで聞いてきた「嫉妬」や「興味」そして、「悪口」の話題になったことです。
女性同士の集まりのときに
*妬まれないよう、敵を作らないよう、あえて自分は幸せじゃないふりをしてしまう(自虐ネタを話す)
*グループのボスママが嫌っているだろう人の情報を提供して、ボスママに取り入ろうとする
*自分が気に入らない人をみんなが同じように嫌ってくれたらいいのに!という思いで話を盛り、仲間を増やそうとする
みなさん、どこか思い当たる節はありませんか??または、そういう人を見たことはありませんか?
女性は共感し合うことが好きです。その思い、よく分かりますけど、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いって言えなかったり、自分はそう思わないことに「わかる」「そうよね」っ言わざるを得ない雰囲気の関係って疲れませんか?私はそういうのが大嫌いです。自分の友達が誤解されていたり悪く言われたりしたら、絶対にフォローします。それが原因で人が去って行っても大事な友達をなくすよりはマシだと思います。
嫉妬って手がつけられません。仲良しのふりして、本音も本性もまるで違う人がいます。手のひらを返したように、ポイっと友情関係を一方的にやめてしまう人もいます。
そう、幸せって妬まれるんですよ。そして、きっかけは本当に些細なこと。
嫉妬したり人の悪口ばかり言う人というのは、自分の人生や生活に不満がある人です。不満を言うだけで何も努力しないのに、本当は誰よりも幸せになりたいと願っている人。誰かを攻撃することで、自分を守ろうとする人。自分が一番!と思っているし、そう思われたい人。私はそう思います。
おかしいですよね。
幸せになりたいって思って生きていて、子育てをしていて、家族の幸せを願っている者同士なのに、けなしあったり、足を引っ張りあったり...他人と比べたり張り合ったりしている毎日は疲れないかなぁ。
女性の結託は怖い
仲間内で『共通の的(敵)』を見つけたときの女性の結託って、怖いくらいに固いんですよね。羨ましいなら羨ましいでいいじゃないですか。その人が幸せなら、それでいいじゃないですか。自分もそうなりたいけどそうなれないから悔しいだけでしょう?
それから、
「夫といるのは嫌だ」とか「うちの子供は成績が悪くてどうしょうもない」とか、平気で家族をディスる人がいますが、ご主人やお子さんがそんな風に言われていると知ったら....それを考えたことがありますか?誰かの悪口を言って盛り上がっている親の姿を見たお子さんは、あなたをどう思うのでしょう?愚痴をこぼすこととディスることは性質が違うと思います。
幸せを前面に出すと妬まれるからと、子供や夫のダメ出しをするって、本当は心が痛いことではないでしょうか。
自分の家族が他人に自分の悪口を言っていたら悲しいものです。多少の愚痴ならいいんですよ。でも、本人に聞かれたら困ることは、他人に言わないようにしませんか?
これは家族に限ったことではありません。
自分が発した言葉は、いつかまた自分に返ってきます。悪口や噂話しかしない人が、いずれ誰からの信用も失ってしまうのと同じで、ネガティブなことしか言わない人の元からは、友達も幸せも近づかなくなってしまいます。
幸せは誰が決めるものか、知っていますか?
自分が幸せだと思うこと(思えること)。それこそが一番幸せなことだと思います。ウソをつく必要もないし、あえて不満を探し出す必要もありません。
幸せは自分で決めてください。
他人がどう言おうと、あなたが幸せだと思っていることは、間違いなくあなたにとっての幸せなのです。
私は、「かわいそうね」って同情されるくらいなら、「あの人、幸せで悔しいわ」って妬まれていた方がいいと思っています。そこを目指して生きていると言っても過言ではありません。
『人の不幸は蜜の味』なんて言いますけど、人の不幸を聞いて自分の欲求を満たし、ぶくぶく太っていくような心の持ち主をいちいち気にしていたら幸せになんてなれません。
誰のために幸せになりたいかと言えば、自分のためです。周りのあれこれを気にして幸せじゃないふりをしたり、他人の幸福に毒づいたりするのって、その時点で不幸街道をまっしぐらに進んでいると思います。
周りとうまくやっていくには周りに合わせたり、多少の演技も必要です。だけど、ヘタな芝居でコケるくらいなら、最初から正直になって嫌われる方がマシ。私はそう思っています。妬みは気にせず、むしろ歓迎しちゃいましょうよ。
小さな基準で幸せの比べっこ。比べることで成長できるならば良し。比べることで自分の人生や家族まで卑下した見方をしてしまうなら、即刻やめて欲しいなぁと思います。
類は友を呼ぶ
類は友と呼ぶという言葉がありますね。
あなたが今一緒にいる相手はどういう人たちですか?ぐるっと思い浮かべてみてください。あなたは、その人たちと同じです。側から見たら、同じような雰囲気、同じような顔、同じような性格の集まりの「一人」です。それは嫌だなって思ったら、妬む側から妬まれる側に回ってやれ!と、心地よい場所を見つけたり選んだり探したり作ったりして、上を向きませんか?仲間と悪口や不平不満を言い続けている間は何も生まれませんし、傷を舐め合う者同士、居心地がいいだけでそこに友情なんてありません。
私は「従う」ってあまり得意ではなくて、個性を磨きあえるような環境が好きです。さらに世界が広がるような、刺激しあえるような人たちとの出会いに心が躍ります。
好きなことが言えないって、ストレスですからね。「あなたはそう思うのね、でも、私はこう思うわ」っていうことを、普通に言い合える人たちと一緒にいるのが好きなのです。
わかりあうことって難しいですよ。だからこそ、相手を理解しようとする姿勢で人と接している人が好きですし、自分もそうありたいと思うのです。
自分と違う人を受け入れる、認めるって、今の自分と比較することではなくて、見つめることに繋がります。素敵だなって思う人の素敵なところを真似したいし、好きな人がたくさんいる人生にしたいと私は常々思っています。今まで数えきれない人とご縁をいただいてきました。同時に、たくさんの人と縁が切れました。出会った人の数だけ、いいえ、それ以上にいろいろなことを学ばせてもらった人生です。
この世に「私」は一人きり。誰かの真似をしなくてもいいし、誰かの称賛を受けるために生まれてきたわけでもありません。ただただ、自分が幸せだなって思える生き方をすればいいんだなと思います。生きていれば誰かの迷惑になっているだろうし、目障りかもしれないし、知らずに傷つけているかもしれません。でも、「私が幸せそうだから」という原因で目の敵にされているとしたら、その人がもっと嫉妬して悔しがるくらい幸せになってやろうって思います。
「何の悩みもなさそう」「幸せそうだよね」
幸いにも私はそう言っていただくことが多いです。実際はいろんな悩みを抱えていますが、誰からもそんなふうには見えないと言われます。それが、私の自慢です。幸せそうに見えているってめちゃくちゃラッキーじゃないですか??
妬みなんて気にしない。嫉妬は憧れの裏返し。誰かの憧れになれるなんてそうそうありません。人を羨ましがって心が卑屈になるのなら、自分が人から嫉妬されるくらい素敵になる努力をしてみませんか。
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