ここ最近、韓国の時代劇ドラマにハマっています。
きっかけは、NHK で放送されている『オクニョ〜運命の女』でした。あまりにも展開が面白くて1週間が待ちきれず、Amazonプライムで一気に観てしまったほどです。
今日まで見終えたドラマは次の通り....
どこに面白さがあるのかと言いますと、
- 実在していた人物が登場する(フィクション部分は多いですが)
- 論語が度々出てくる(「論語」を読み始めました)
- 〇〇とは何か?を考えさせられる(権力(政治)とは、愛とは、絆とは、生きるとは、など)
- 役者さんたちの演技力、ルックスに魅せられる
- 異国の異文化に触れられる(歴史、作法、文化、言葉など)
- 物語のスケールが大きい
ざっと思いつくだけでこんなにあります。何本も観ているうちに「あのドラマに出ていた俳優さんがこっちにも出てる!」という発見もできて楽しいですし、とにかくドラマから学ぶことが多いです。私の場合、人生について色々と考えたい時期と重なっているのも時代劇にハマっている理由の一つだと思います。
あんなふうに生きたい、あんな死に方は嫌だ....
身分や立場の違う人たちのそれぞれの物語(人生)と自分を重ねてみるのですが、多くのドラマを見てきて思ったことがあります。
生まれる場所は選べないけれど
生き方は選べる
どこの国に生まれるか、誰の元に生まれるかによって「運命」が決まってしまうように思うけれど、決してそうではない、そうになるとは限らないと思います。
「運命」の他に「宿命」や「天命」など、「命」という漢字を使った言葉はいくつもありますね。言葉によって意味は変わってきますが「命」がある限り、私たちは「命」と向き合っていかねばなりません。
人は生まれたと同時に「死ぬ」ことが決まります。命あるものには必ず「最期」がやってきます。私たちは生まれ方も死に方も選べませんが「生き方」は選べます。それは、生き方を変えればすべての人がすべてのことにおいて自由になれることでも、努力すれば願いが叶うから頑張りましょうという意味でもありません。
生き方とは心のあり方であり、心のあり方こそ自分の生き方に繋がっている
運命はきっと、生き方で変えらえる
こんなふうに思います。
『こうでありたい』と思う心に素直に従って生きることができたら幸せだなとつくづく思います。つくづく思っていながらなかなかそれができないでいるのは、どこかで自分の生き方に責任を持てずにいるのかもしれません。また、もしかしたら、幸せになることへの罪悪感、恐怖があるのかもしれません。
実際に選択肢はいくつもあるのに、「無理」「違う」「できない」と可能性を否定して選択肢を狭めてはいませんか?望むことは自由です。なぜ自分がそれを望んでいるのか、望んでいるのになぜそれができないのか、望むように生きたらどんなことになるのか、人生を一緒に見つめ直してみませんか?
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