突然ですが、私はピザが好きです。
宅配ピザのメニューに、2種類のピザを味わえる「ハーフ&ハーフ」がありますが、4種類のピザを味わえる「クォーター」というメニューが出たときには嬉しくて仕方なかったです。あれも食べたい、これも食べたい、とメニューに悩む欲張りな私の救世主メニューです。
「欲張りになる」って良いこと?悪いこと?
さぁ、どういうことなのでしょうね?
あれも欲しい、これも欲しい。
あれもやりたい、これもやりたい。
あー、その前にあれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。
あー、あと、あれも!
私の頭の中はこんな感じです。
欲張りになる気持ち...それは単純に、「それがしたい」「それが欲しい」という気持ちなのか、それとも、自分がそれをすることや得ることによって付帯するものが欲しいのか...?(たとえば称賛やお金や地位など)どちらなのでしょうね。
そして、「そうしたい」「欲しい」と思うものを手に入れないと自分はどうなってしまうのでしょう?どんな気持ちになるのでしょう?
反対に、それができたら、それを手にしたら、自分はどう変わるのでしょう?どんな気持ちになるのでしょう?
欲張りになっているときの自分って
「あれは?」「これは?」と多くの事柄や悶々としている思いを、ふるいにかけている状態なのかもしれません。ですから、そこらへんを追求していくと、ふるいにかけられた純粋な思いだけが残るのかもしれません。
自分に必要なもの(表面的、物質的)と、魂(内面、潜在意識)が喜びを感じるものって、どこかで繋がっているような気がしています。そして、それを探していく過程は楽しんだもの勝ちだとも思っています。
必要か不必要か
好きか嫌いか
合うか合わないか
良いか悪いか
信じるか信じないか
やるかやらないか
行くか止まるか
買うか買わぬか
出すかしまうか
捨てるか拾うか
賭けるかやめるか
「どうしょうかな」と迷ったときに、私たちは体験や経験から答えを導こうとします。体験や経験というデータが物事を判断したり選択したりするときの「押しの一手」になります。でも、好奇心より恐怖心が勝ってしまうと、どうしても止まってしまうし「だったら今のままでいいや」って諦めてしまいがち。経験というものは役に立つようで、実は邪魔になってしまうこともあるのです。
「あれもこれも」と意欲的になっていても、実際は自分の欲しいものばかりを得られるとは限りません。
「当たり」を望んでいたが「ハズレ」が出た
「成功」したかったが「失敗」してしまった
「栄光」を手に入れたかったが「挫折」を味わった
あー、ガッカリ....
でも、行動(体験)は新たな経験となります。その経験が誰かの役に立てることもあります。
さらに!「自分史」に新しい章が書き加えられます。
行動した人にしかわからない感動や学び、気づきを得られます!
心のままに行動するということは、自分に必要なものを見つけ出すための手段の1つだと言えましょう。
食べたいものは食べたいの。
欲しいものは手にしたいの。
キレイになりたいの。
憧れの場所にどうしても行きたいの。
欲張りだなって思われてもいいのです。欲があるから疲れるけど、欲がなければ頑張れません。
アラフォー以降のお姉様方(お若い方ももちろん大歓迎)、私と一緒に欲望を語り合いませんか(笑)願いを叶えながら生きましょう
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