ジークムント・フロイト(精神分析学者・精神科医)はこんな言葉を残しています。
『大人になるということは曖昧さを受け入れる能力を持つということ』
この言葉を知ったとき、不思議と心が楽になったのを覚えています。
「良い」か「悪い」か
「白」か「黒」か
「あり」か「なし」か
人は自分が持っているものさしを使って物事を選択をしています。でも、どちらとも言えない、どちらもそう思う、嘘でもなければ本当でもない、などという非常にグレーなことって、多くないですか?答えを出せない問題は山のようにあると思います。立場が変われば加害者も被害者だったり、天使も悪魔だったり、その逆も然りです。
だから、人は悩みます。
だから、曖昧さを受け入れることができたなら心の葛藤は減るのかもしれません。そうかもしれないけれど、そうではないかもしれない、というものさしがあれば、不安や怒りの度合いが減るのかもしれません。
良心に従う、従わないも含め、何かを選択するときに人はそれが自分にとって「得」か「損」かを基準にしているのだと思います。ただ、どんなに正しいと思う選択をしたとしても、批判や失敗や後悔は多少なりともあるでしょう。「正しいと思う選択」が誰にとってそうなのか、選択の軸をきちんと定めていると結果にブレない選択ができると思います。
つまり、世間がどうであるとか、どう言ったとか、誰にどんなふうに思われるのかを基準にするのではなく、自分がどのような信念を持ってそう思い、それを選択したのかが重要なのだと私は思います。人の数だけ正義があって価値観があるわけですから、結局のところ、正しいことっていうのはすでに曖昧な真実だからです。
自分で設けた選択肢に自分が悩んでしまうのはおかしな話です。きっと、無駄な選択肢が増えすぎている状態なのでしょう。それと、誰かの価値観に自分の価値観を当てはめて答えを出してしまうのも違う気がします。
自分を信じてナンボです
自分の道は自分で決めるからこそ、選択は自由なはずなんです
心というのはそもそも曖昧です。決断や選択を迫られたときに思い悩むのも無理はないのです。皆、悩むのです。悩むということは、それだけ自分にとって大切な問題であり、局面を迎えているということです。
ですから、その選択の一つに「曖昧」があっても構わないと私は思うのです。曖昧な状態が現状のベストであると判断したわけなのだから。
でも...
生きていくことは選択や決断の連続です。時間に迫られることなく、他人の意見に左右されることもなく、どっちに転がってもハッピーだと思える選択ができたらいいのにと思う反面、物事の曖昧さが気持ち悪くて、やっぱり、どうにか決着をつけたいと願うこともあります
心って矛盾してますね。
心って、きっと、そういうもんです。
はい。
だから、答えを出せなくて苦しむ時間があってもいいし、その時間は絶対に無駄ではありません。悩み抜いた挙句、答えが出ないってなったときは、そもそも答えのない問題だったのかもしれません。
ちなみに『答えがない』という答えにたどり着くと
- 正解
- 不正解
- 良い
- 悪い
- やる
- やらない
- 好き
- 嫌い
- 行く
- 行かない
- 保留にしておく(ま、いっか)
- 曖昧な状態にしておく(どう転んでも受け入れられる体制)
などという選択肢の他に
- 答えはない(考えなくて良い→悩まなくて良い→問題解決)
という選択肢が増えます。
曖昧さを受け入れることは大人の能力の一つだとフロイトは説きました。曖昧さがあってこそ、愛や思いやりが生まれるのではないかと私は思っています。相手のパーソナリティを受け入れ、相手を思いやる愛情を持てるようになることこそ、成熟した大人の証拠だと思うからです。
白黒はっきりさせない方がいいこともある...
そんなことを思うのって「ずるい大人」だと思っていたけれど、違ったんだなぁ。それとも、いつの間にか私はずるい大人になってしまったのかな?
ここは曖昧にしておきましょう
あなたには許せない人がいますか?許せない自分がいますか?『曖昧』という考え方で、その気持ちを少し楽にしてみませんか?
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