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mental counseling

コラム

2023.12.29 

コラム

多様性について思うこと

こんにちは。

最近よく「多様性」という言葉を耳にします。

世の中には色々な人がいるよね。その違いを認め合いながら社会を作っていけたらいいね。私はこの言葉にこんな印象を持っています。

みんなが同じ思想を持ち、違う思想が排除されるような社会を生きたことがないので「多様性」という言葉は「何を今さら?」と思っていたのですが、「多様性」という意味は調べていくと非常に奥の深い言葉であることを知りました。

私たちは国籍、人種、性別、身体的な違い、価値観、美意識、思想、環境、経験などオリジナルのものを持っており、それらは100%他人と一致することはありません。だからこそ、自分はこれでいいのかと疑問を抱いたり他人との違いに悩んだり批判したくなったり、社会的に問題提起されることがあります。



私たちは社会的に何か問題(ニュース)が起きたときに、その物事や背景について考える機会を持ちます。さて、社会や家庭等コミュニティをとる場所で自分以外の人と接するとき、他人の言動をみたとき、ニュースを見たときのあなたの尺度(物差し)はなんですか?

私の場合、まずは「自分」がその尺度になります。そして、その尺度は年齢や経験と共に変化を繰り返してきました。

数年前に大流行したディズニー映画「アナと雪の女王」。内容もさることながら人々の心に響いたのは「ありのままに生きよう」と解釈された歌でしたね。映画の反響から「ありのままに生きる」ことができずに苦しみもがいている人がいかに多いかを知り、あらためて「自分らしく生きること」を考えさせられました。

「魔法」という特別な力を周囲に隠し続けていたヒロインが「魔法を使うこと」を自分に許可し、ありのままの自分で生きていこうと決意した言動には感動させられ、「よし、私もありのままに生きよう!!」と思ったものです。



昨今、「多様性」という言葉が世間に浸透し社会に影響を与え始めています。新しい文化と思想になりつつあります。

他人に認められたい「承認欲求」は誰しもが持っている本能かもしれません。しかし、誰かに認められること以前に自分の生き方、自分のパーソナリティを自分自身が胸を張って愛せるようになること。「多様性」の本質はそこにある気がします。

私が受けてきた教育、親から受け継いできた思想。それらの全てが今の私を形成しています。「多様性」が叫ばれる現代においてもなおその洗脳された思想の大部分が残っています。それゆえ未だに「〇〇でなければならない」と〇〇であろうとする自分がいます。そうでないと他人が自分に求めているものを裏切ってしまうのではないかという不安が常につきまとうのです。

その葛藤こそが世の中の「多様性」を認めきれておらず自分らしく生きていない証です。



誰のための「私」ですか?

誰のための「人生」ですか?

自らの「多様性(個性)」をカミングアウトをされた人たちやインフルエンサー、音楽や芸術からも多大な影響を受けた結果、ようやく私は「多様性」が重要視される意味や自分がどのように生きていきたいのかを明確にすることができました。

人に迷惑をかけてはいけないと親や学校から教わりました。迷惑とはなんでしょうか。

人は皆、他人と影響を及ぼしあって生きています。法律やルール、道徳は人間が社会の秩序を守るために作ったものです。あらゆるマイノリティーを拾い上げてそのどれもを肯定的に捉えることはできないのが現実ですが、私という一人の人間が踏み出す一歩はこの地球の生態系に何1つ影響を与えません。



私自身の心の変化は誰かを悲しませるかもしれませんし誰かの人生を変えてしまうかもしれません。それでも、それをわかっていても、それ以上にわかってしまったことがあります。

 

人生は一度きり。

 

過去をやり直すことはできません。しかし、生き方を変えることは可能です。

何を始めるにも遅いということはないと言われます。しかし、手遅れになることもあります。後悔する人生を歩み続けることになるかもしれません。今、心の中でそれでいいの?って自問自答してみてほしいのです。

 

離婚すること、未婚で出産すること、男性がメイクをすること、女性が男性が担っていた職業に進出することなど、今までマイノリティだったことが受け入れられやすくなってきました。時代はどんどん変化しています。仕事のスタイルも職業も大きく変わってきました。幸せやお金に対する考え方も多様化しています。

国が違えば言葉や文化は違うことを当然だと思うように、それでもいいよね、それもありだよね、その方がいいよね、と思えることがどんどん増えていくことは人々の生き方の選択肢を広げることであり、生きやすくなる人が増えていくことに繋がります。

多様性」について語るとき、とてもセンシティブな側面があります。私の知らない「多様性」の領域もあります。ですから、安易に「多様性」という言葉を使用して文章を書くのはデリカシーに欠けるかもしれません。

それでもこのコラムを書いたのは、私自身が自分の中に作り上げた思い込みや常識を覆したいと思っているからです。自分自身が作り上げた見せかけの部分、つまり、「そういう人でありたい」「そういう人でなければならない」と思う気持ちが自分を生きにくくしていた、人生の選択肢を狭めていたことに気付いたからです。



なんだか生きにくいな・・・

そんなことを感じているあなたへ。

もしも、誰からも何も言われない、可能性と希望しかない世界にあなたがいたとしたら、あなたはどんなふうに生きていますか?

その世界に生きているとしたら(生きられたとしたら)、あなたは一体どんな気持ちになっていると思いますか?

人生を他人任せにしない、他人や環境のせいにしない。今、自分の中の何かと闘っているとしたら、どうか自分の味方をしてください。せめて自分だけは自分の味方をしてください。

誰に何を言われても、あなたの人生はあなただけのものです。

あなたが思う幸せの形はあなたにしか体現できません。腐らず諦めず、少しずつ認知を変えていきましょう。

そのお手伝いができたら嬉しいです。