今日は私が心配性をちょっとだけ克服できたお話をします。
子供たちが思春期真っ盛りだった頃のことです。二人とも割とやんちゃな方でして、学校から呼び出しやお叱りやらの電話がかかってくることがありました。電話が鳴ると、「学校から?」「警察から?」とビクビクしていたのを思い出します。
「もしそうだったらなんて受け答えしよう?」と日々シミュレーションに明け暮れていました。子供たちを信じていなかったわけではなく、身構えて過ごすことで衝撃から心を守っていたのです。常に冷静に対処できるような心構えでいたものの、実際に冷静であったかと言えばそうではなかったし、取り越し苦労で終わったことがほとんどでしたし、想像と現実はまるで違うし(笑)、今思えば無駄な心労を抱え込んでいたなぁと思います。
私の心配性は子供たちに関することだけではありませんでした。常につきまとう漠然とした不安や怖れがたくさんの「悪い出来事」を想像させ、心身ともに常に疲弊している状態です。私は平穏な暮らしを望んでいるはずなのに、皮肉な話ですよね。心はちっとも穏やかではありませんでした。長い間、自分の思考が自分の生き方を窮屈にしていたことに私はなかなか気づけなかったのですが、そこに気がつかせてくれたのは他人からの『ありきたりな助言』でした。
憂鬱な気持ちを人に話すと、「考えすぎだよ」と言われるばかりでした。こちらは真剣に悩んでいるのに、なぜだかみんな「考えすぎ」としか言いません。挙げ句の果てには子供たちからも「お母さんは心配性なんだよ」と言われる始末。
私が考えすぎなの?世の中の人は私のように考えないの?
ーーーーーー考えない??
私は『!』と思いました。
なになに?
もしかして
私が考えていたことって
そもそも考えなくてもいいことだったの??
人に話したら気持ちが楽になるとか、考え方を変えたら何かが変わるってこと以前に、考えなくてもいいことで私は悩んでいたってこと??
何か起きたときに正しく対処できる親でありたいと思っていた私は、「雨が降ってきたら困るから」と降ってもいないのに傘をさして歩いているのと同じ状況だったのかもしれません。
じゃあ、考えないで済む方法って何?
どうしたら楽しく過ごせる?
どうしたら心が晴れるの?
面白いもので、自分の心は自分が喜ぶことをちゃんとわかっているんですね。人は考えたいことを考えます。ですから、単純に言えば憂鬱にならないことを思えば憂鬱にはならないってわけです。心を切り替えることは簡単ではありませんが、楽しく過ごしたいと思っているなら楽しいことを考えるしかないというのが私の持論です。
最近は、「穏やかな心」になるために、目の前にあること、今やらなくてはいけないことに一生懸命取り組むことを心がけています。今を生きることに必死になって余計なことを考えないようにしているんです。
将来のことを考えない人に将来はない、なんていう言葉もありますが....今をちゃんと生きていない人に未来はない、と私は思っています。明日の自分は今日の自分の行動で決まります。心配なことがあるのなら、ただ心配だけして過ごすのではなくて、どうすれば安心出来るかを模索しなくちゃいけません。用心をして包囲網を張ることはとても大切ですが、痛い経験も成功した体験もいっぱいして臨機応変に物事に対処出来る自分をいくつも持っていると、生きる上で大きな強みになるんじゃないかなと思います。
かつての私は、晴天の下でレインコートと長靴と傘をさして嵐に怯えていました。時とともに、レインコートを脱ぎ、傘をたたみ、長靴を脱ぎ....今はとても身軽です。レインコートや傘や長靴は、いつ嵐が来てもいいようにスタンバイしてあります。だから、晴れている日は何も心配しなくていいのです。
どんな明日を迎えたいかを考えると、今日、自分がどう生きるべきか、何を選択すべきなのかがクリアに導き出せる気がしませんか?
嵐はまだか、嵐、嵐...
そんなふうに、来て欲しくない嵐を待つ暮らしはやめて、晴れの日を思い切り楽しむ毎日を過ごしたい!心配性をちょっとだけ克服できたのは、心配している自分や時間が無駄だなと思えたから。「ちょっとだけ克服」としか言えないのが自分でも惜しいところですが、考えたいことを無理やりシャットダウンするのも私にはストレスなので、考えすぎるところも私の性格の一つとして上手に付き合っていこうと思っています。
そのうち余計な心配なんてする暇がないくらい、めちゃめちゃ楽しい毎日になるはず。だって、私がそうしたいと思っているから。
雨が続いて気持ちがやや憂鬱になりがちですが、心は晴れに。心を晴れに。
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