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mental counseling

コラム

2019.06.03 

コラム

生かされていること、生き直すこと

こんにちは。

今日は犬の薬をもらうために夫に車を出してもらいました。見慣れた風景も季節によって色も匂いも違います。車窓から入ってくる風がとても気持ちよかったです。車の横を中学生くらいの少年達が元気に走り抜けて行きました。こんな風景はどこででも目にしますし、なんてことのない状況なのですが、今日の私にはその景色は特別に映りました。

外に出て自転車に乗れるようになること。それは、かつて交通事故を起こした息子がしたくてもできなかったことです。それが、いつの間にか自転車に乗れるようにまで回復しました。無邪気に自転車を漕いで走り去っていく少年たちに、我が子の姿を重ねてしまいグッときてしまいました。



息子が事故を起こしたのは今から2年半ほど前のこと。

(事故のことはこちらから読めます)

 

観光バスに息子が運転する軽トラックがぶつかった事故でした。軽トラックはペシャンコ。大破した車を見たときは息を飲みました。生きていることが奇跡だと言われた事故でしたが、本当にそう思います。単に運が良かったわけではなく、息子は意図を持って生かされたのだ、そうに違いない、今はそんなふうに思えるのですが、当時は

起きることには全て意味があるっていうけれど、息子の事故にはどんな意味があったの?事故を起こさなければいけないほどの訳があったの?

神様は乗り越えられない試練は与えないっていうけれど、何のために試練を与えたの?事故以外に他に方法はなかったの?

こんなふうに思うばかりで...事故を起こしたのは息子ですが「朝、ちゃんと見送ればよかった」とか「夜更かししていたのを知っていたのに」とか自分を責めることも多かったです。

「意味」とか「試練」とか、「神様」とか「運命」とか....スピリチュアルな世界にどっぷりハマったのは事故がきっかけでした。事故が起きた日から、人生の歯車が少しずつ狂い出したような気がしています。でも、考え方によっては新しい歯車が回り出したと言えるかもしれません。



あの事故は息子だけではなく、私や夫にも生き直すチャンスをもらったような気がしています。私はあの日から「生きていること」「生かされていること」「生きていくこと」について吐き気がするほど強引に向き合わされてきました。目を背けようとしても、その場から逃げようとしても、何者かにグワッと襟元を掴まれて「そこに座れ!」と命の前に放られるような毎日が今もなお続いています。

息子の大腿骨には両足ともチタン製の棒が入ったままです。手術の跡も生々しく残っています。事故以来、ずっと家にこもりきりだった息子は、今では一児のパパ。これもまた信じがたい出来事としか言いようがありません。驚くようなことの連続は私たち家族一人一人のあり方を

本当にそれでいいのか?


本当にそうなのか?


本当はどうしたいのか?


本当は・・・?


こんなふうに常に問うてきます。どうして我が家はこうも波乱万丈なのだろうかと肩を落としてしまうのですが、あまり人が経験しないようなことを体験することによって少々のことでは心が乱れなくなったかもしれません。これ以上のことはもうないだろうと思いきや、「これ以上」を軽く超える出来事がこっちを見て笑っているような状況を何度繰り返してきたことでしょう。



 

家を出したものの、単身で暮らす息子のことを想わない日はありませんが、今後どんなふうに彼が生きていくのかを静観しています。彼は今どんな景色を見ているのでしょうね。彼がこの先、自分が生かされたことの意味を感じることができるようになったら、きっとね、息子はもっともっと羽を広げて羽ばたいていくのではないかと楽しみにしています。



今までは「こんなふうに育ってほしい」という親としての理想はありましたが、息子が命を取り留めたことで、生きているだけでオッケー!という気持ちになりました。あなたの命はあなただけのものではなく周りにいる人たちがどれだけ大切に思っているかを、傷だらけの足を見て胸に刻んでくれたなら、もっと自分を大切にし、大事に生きてくれるんじゃないかと思います。そして、これは願望ですが、当たり前のように生きるのではなく、当たり前のように周りに感謝できる人になってくれたら嬉しいなと思っています。

命があることに感謝。

命ある限り、生き直すことはできる。

さぁ、私も、いざ!

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