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mental counseling

コラム

2019.04.20 

コラム

自分が望むような人間関係を築いていくには

こんにちは。

 

幼い頃から、私は言いたいことを臆さず発言してしまうタイプでした。誰が敵に回ろうと自分の意見は言うべきだと思っていましたし、相手のためになるだろうと思うことはお節介が過ぎるくらいに伝えてきました。陰でこそこそ悪口や批判を言うのは大嫌いです。困っている人や悩んでいる人を見て見ぬ振りするのもできないたちです。正義感が強いというより『こうであるべき』という自分の中のルールを全ての人に当てはめてジャッチしてしまうのが癖のような感じでした。

そんな私が、

『相手に誤解されるのは嫌』

『本音を告げることで相手と信頼関係が壊れるのは嫌』

『自分のことを根掘り葉掘り聞かれるのは嫌』

『お節介だと思われるのは嫌』

そんなふうに思って、人に心を開けなかった時期があります。自己主張が強く、正義を振りかざし、お節介な私が、なぜ、言いたいことが言えなくなって人との会話に異常なほど怯えるようになってしまったと思いますか?

 



 

それは、私のパーソナリティを誤解されてしまった経験があるからです。どんなに誠実に接しようとしても受け入れられなかった体験が苦く悲しい経験として積み重なり、どうやって人と接すれば良いかわからなくなってしまったのです。

『そんなつもりじゃなかったのに』

『そう言う意味じゃないのに』

『良かれと思って言ったのに』

幾度となく『たった一言で人を傷つける』『言葉一つで自分が誤解される』ことの重さを感じました。自分が語る正義も思いやりの気持ちも、他人に違和感を与えることがあるということも知りました。本音をぶつけ合うことこそクリーンで熱くて大事なコミュニケーションだと本気で思っていたけれど、それを望まない人やそれが通用しない人がいるということをまざまざと思い知ったのです。

人の気持ちを汲む、その場の空気を読む。その上で発言をする。

おそらく、ほとんどの方がそうやって上手に人間関係を構築されているのだと思います。対話にはマナーがあり、コミュニケーションにはルールもあるという処世術を

相手によって付き合い方や態度を変えるなんて八方美人だ、上っ面の付き合いだ、偽善だと毛嫌いしていた自分がいました。我ながらスポ根青春ドラマの登場人物のような生き方を実践していたなぁと苦笑します。

 

 

苦い経験を何度も繰り返していくうちに、気の合う人と話をするときも含め、

  • 自分の気持ちをいかにうまく伝えられるか

  • 自分も相手も悪者にならないようにどう話ができるか

  • 相手が納得できるよう、饒舌に話しをしたい

  • 自分の気持ちをわかってもらいたい、わからせたい

  • 拒絶されたくない

  • 良い人だと思われたい(悪気や悪意はないと思って欲しい)


そんな風に神経質になって会話をしていた時期も長く過ごしました。人との会話(コミュニケーション)には常に不安と願望がつきまといました。オブラートに包む言い方ができず、不本意にも嘘をついてしまうこともありました。そのうちにそんな自分が嫌になって、さらに

『今どんな顔で自分はしゃべっているのだろう??』

『本当は嫌なのに「いいよ」って言ってるけど、本当に「いいよ」の顔になっているだろうか??』

『笑ってるつもりだけど、歪んだ笑顔になってはいないだろうか??』

などと考えるようになり、自分の表情に自信が持てなくなりました。

 

主張を抑え、とにかく相手のことを知ろう、分かろうとする気持ちで接する努力をしていましたが、相手にはそう思う私の気持ちは伝わりきれていなかったかもしれません。人を傷つけまいと気を遣っているようで、実は、誤解されたくない、嫌われたくないという気持ちが強いだけで、誠意に欠けた態度をとっていたかもしれません。

結局、いろんなことを考えて言葉を発しても誤解はされるし、逆にそんな性格の私を嫌う人もいましたし、なんだか空回りばかりして非常にストレスを感じるようになり、誰とも関わりたくないと思うようになっていきました。

「近づかないで」みたいなオーラが全身から出ていたかもしれないな〜〜。どうりで話しかけてもらえなかったはずだわ(笑)



 

そんな私でしたが、元来人と接することが好きな性分ですのでご縁を多くいただいてまいりました。自ら飛び込んでいって繋がった方達も多くいます。そして、職業、価値観、環境、性別などを超えて多くの人たちと接していくうちに良いことも悪いことも含めてたくさんの学びを得ました。

 

相手が私の思いをどう受け止めるかは相手側の捉え方次第です。相手が私をどう思うかは相手の心に委ねられます。自分が思う「いい人」と相手が思う「いい人」は必ずしもイコールではありません。誤解をされないように遠回りな接し方をしてもしなくても、自分の思いは言葉や行動として自分から離れた時点で、もう自分のものではなくなります。どう思われるかを心配しても、それは自分にはどうすることもできない無駄な心配なのだとわかりました。つまり、いい人だと思われようと必死になったところでどうしょうもないということなんですね。

分かってもらおう、分かってもらいたいという理屈や欲求ばかりを感情的に相手に押し付けていたら、どんなに饒舌に話しをしたって、どんなに自分が正しいと思うことだって、どんなに相手を思って伝えた言葉だって、相手には誠意とも愛とも伝わらず、そのうち耳を傾けてくれなくなります。

 

人と話をするとき...

上手に、饒舌に話をしようと思わなくていいのです。

キレイな言葉じゃなくていいのです。

自分の気持ちを自分の言葉で自分らしく伝えられたら良いんじゃないかな?

それが、対人関係を楽にするコツなんじゃないかな?

私はそんな答えを見つけました。

自分の話(言葉)で相手が何を思うか、そこまで考えなくてもいいんだな〜って考えるようにもなりましたよ。前述しましたが、相手が何を思うか、どう感じるかは相手の問題であって、こちらが思い通りに操作できるものではないんですもの。



 

心配をかけるから話(相談)ができないという方が多くいます。私もそうでした。自分の問題は自分で片付けよう、なんでもクリアしてやる、何事もないように過ごしてやる、それがかっこいいと思っていましたし(笑)

確かに心配はかけたくないと思うでしょう。しかし、「話しを聞いてほしい」「助けてほしい」と言った時に「嫌なこった」と言って突き放す人は、実はほとんどいません。

「話してくれてありがとう」「大丈夫?」「頼ってくれてありがとう」と言ってくれる人がほとんどです。

逆に、「どうして話してくれなかったの!?」「そんな大事なことを黙ってるなんて」「友達だと思っていたのに」という理由で信頼関係が崩れてしまったり、大切な人を悲しませてしまったという例がいくつもあります。

心配はかけても良いけど、迷惑はかけちゃダメ。

これも私が見つけた一つの答えですし、クヨクヨから解放されたおまじないでもあります。心配の段階では解決策があるかもしれないけど、迷惑の段階になってしまうとね、もっと早く言ってよ〜〜、なんでここまで黙ってたの〜〜ってなっちゃうから(笑)

 

 

私は場の空気を読めないところが未だにありますし、誤解を招いてしまう発言を未だにしてしまいます。しかし、それは、空気を読んでいないわけでもなく、誰かを故意に傷つけようとしているわけでもないということを、周りの人たちが理解してくれるようになりました。とてもありがたいことに、それを私らしさだと笑ってくれる人もいます。

万人から好かれることはできません。どんなに空気を読めて、人あたりがよくても、それを悪く言う人は出てくるのです。個性や感情を捻じ曲げて築いている人間関係はいつか心が崩壊します。本当の自分を知ってもらいたいと思う気持ちと、こういう自分に見られていたいと思う気持ちがぶつかり合って苦悩します。

私は心地よい人間関係を望んでいます。

だからこそ、本当の自分を表現していくことに恐れをもたないようにしました。そのおかげで、今はお付き合いしていくことが楽な人たちとだけ付き合えるようになりました。

不思議です。

うまく付き合っていこうと思っている同士なら、こちらが分かって欲しいと熱望しなくとも分かり合う努力を自然にしあえるんですよね。相手を受け入れよう、理解しようという思いやりが深い信頼関係を築いていきます。信頼があれば誰かの噂に惑わされることなく、自分の勝手な思い込みに縛られず、事実をきちんと確認しあえるんです。

去っていく人は遅かれ早かれ去っていく人だったんだなと思えるようになって心が本当に楽になりました。

私は私を大切に思ってくれる人を大切にしていきたい。そう思うようになってからは、私のことをありのまま受け入れてくれる寛容な人に恵まれるようになりました。自分が心地よく生きるために心地よくなる選択をして人生を楽しんでいる人たちばかりで、話をするたびに元気をもらっています。



私を嫌いな人は嫌いで結構。

顔色を伺って、そんな人のために悩みを抱えるくらいなら、好きな人たちとどこかへ行ったり、好きな人たちのために時間を費やした方が幸せです。

もちろん、好きな人たちばかりと付き合えるわけではありません。苦手な人とも付き合わなくてはいけない状況に置かれている人がほとんどだと思います。しかし、苦手な人と付き合うときにも心得一つでその場の居心地は変わってくると思います。

自分が思う、自分なりの配慮で相手と向き合っていくだけです。相手の態度や言葉がトゲのように刺さって辛い時はありますが、もはやそんな相手に希望を持つのはやめたほうがいいと思います。その人は所詮その程度の人である、ということを潔く認める、受け入れる。すると、だんだん相手がかわいそうになって慈悲深い気持ちになれたりします(笑)認めて受け入れるだけでいいんです。嫌いであっても許せなくってもいいんです。私は私、あなたはあなた、ただ、それだけが事実。感情は私だけのもの、あの人だけのもの。それだけ。とてもシンプルです。

 

 

いろいろな経験をして、辛い思いもして、閉鎖的な時間も過ごして、やっとここまでこれました(笑)

 

自分次第で相手が変わる。だから、生き方が変わる。そして、なりたい自分に変わっていける。自分が望む人間関係を築いていきたいのなら、まずはちょっとだけでも認知を変えてみてはいかがでしょうか。

 

対人関係にお悩みの方、一緒にお話ししませんか?あなたを悩ませているその人は、あなたに大事なメッセージを送っているのかもしれません。

 

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