私が日常で心がけていることはいくつかあるのですが、その中でも心がけの基本となっている考え方は
”今日が最後の日だと思って過ごす”
というものです。自分の人生を悔いなく生きること、大切な人たちと過ごす時間は一秒たりとも無駄に出来ないということ、それを肝に銘じて過ごすと決めています。人は生まれたら必ず死を迎えることが決まっていますが、自分の命がいつ尽きるかを知ることはできません。自然災害や予期せぬ事故や突然の発作で命を落とすかもしれません。絶対に明日が来るとは限らないのです。ですから、自分が生きていること、大切な人が生きているということが当たり前のことではないということを、心にしっかりと刻んで生きていたいと思います。
もしも、明日が来ないってわかっていたら.....
どうしてもっとやりたいことをしなかったんだろう?
どうしてもっと優しくできなかったんだろう?
と後悔する自分がいるはず。
忘れもしません。
2016年の10月22 日。
長男が通勤中に車で交通事故を起こしました。
両足の大腿骨を骨折する大事故でした。集中治療室で2週間を過ごし、その後は転院も含めて約3ヶ月間入院しておりました。退院後はリハビリに励み、今では事故前とほぼ変わらない生活ができています。
事故が起きた日から彼の人生は大きく変わりました。
「生きているのが奇跡」と言われた事故でした。
事故当日の朝。
「行ってらっしゃい」と声をかけたものの、その日に限って私は玄関まで見送りをしませんでした。玄関のドアが閉まる音が聞こえた後、仕事で徹夜明けだった私は一眠りしようと寝室へ。それから1時間ほど経ったときに、電話で息子の事故を知りました。事故を起こしたのは息子の過失でしたが、他に誰一人傷つけずに済んだのは幸いでした。
朝方までゲームをしていた息子を知っていました。度が過ぎると思いつつ、社会人なら自己管理はできて当たり前だ、自分の行動に責任を持たせなくては、となるべく口を挟まないでいました。でも、手術室に向かうストレッチャーの上にいる血の気のない息子の顔を見たとき、私は自分を責めずにはいられませんでした。
「いい加減にしなさいよ」と言えたはず。
「早く寝ないと明日辛いよ」と言えたはず。
どうして出かけるときに「運転、気をつけなさいよ」と声をかけなかったんだろう。
どうしてちゃんと顔を見て送り出さなかったんだろう。
私は息子を守れなかった。
守れたかもしれないのに、それができなかった。
このような後悔の思いが身体中を駆け巡っていました。
もちろん、事故を起こしたのは息子ですから私が悪いわけではありません。でも、怪我をした息子を見て非を責める気持ちにはとてもなれなかったのです。事故から2年経った今も、息子が事故を起こした現場を通ると胸が痛みます。息が苦しくなります。それほど衝撃的な出来事でした。
生きていることは奇跡です。息子の事故を受けて、より一層その想いを強くしました。
今日がもし最後の日だとしたら...
あなたは何をしますか?
何をしなかったことを後悔すると思いますか?
生きているという奇跡をどうか大事にしてください。ご先祖様が繋いでくれたこの命を、誰かが生きたいと願った今日と明日と未来を、どうか大切に生きてください。
愛している人に愛と感謝を惜しみなく伝えてください。
大切にされたいと思っていたら、まずはあなたがその人を大切にしてください。
ここに、
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