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mental counseling

コラム

2018.10.07 

コラム

優しい人になりたいと思ったのは

こんにちは。

 

我が家には家計がかなり厳しかった時期があります。それは、義父の会社が倒産したことがきっかけでした。2歳の長男と長女を妊娠していた頃でした。住んでいた家を後にしたときの心情は今でもハッキリと覚えています。

生計と精神が安定するまでには多くの時間を必要としました。当時は生活をすることで精一杯でしたから部屋に花や緑を飾る余裕などありませんでしたが、道の脇に咲いている花を摘んで飾ったり、子供たちが通学路の途中で花を摘んできてくれたりしたことを思い出します。テーブルに飾った小さな花は大きな癒しであり、最高の贅沢でもありました。



私たち夫婦は雑草のように根強く生きてきました。雑草ならではのたくましさと美しさ、そして、希望を持って生きていきたいと願う気持ちは今もあの頃も変わりません。
私は植物をすぐに枯らしてしまいますが、お花や緑は大好きです。太陽に顔を向けてまっすぐに生きるその姿から勇気をもらえますし、生きることとはどういうことなのか、どう生きていけばいいのか、メッセージをもらえる気がしているのです。そして、人として枯れずに強く優しく生きていたいと思わせてくれます。

いろいろなことを経験する中で、綺麗なものも汚いものも、この世にはたくさん溢れていることを私は知ってきました。
「人なんてお金なんて幸せなんて」と拗ねて斜に構えて生きていくこともできましたが、そうならずに済んだのは、人からの愛や優しさのおかげだと思います。ですから、私のモットーは『どんなときも優しさを忘れずに生きていたい』です。人に絶望させられたことがありますが、人の優しさで私は生きてこられたからです。


人は根が腐らなければ、きっと、花を咲かせられます。
もう一度、人生をやり直せます。もう一度、何かを信じてみたくなります。そして、どんなときも優しさを忘れずに生きていくということが、他人だけでなく、自分を最も幸せにする生き方であることに私は気がつきました。

私は、私や夫、家族を傷つけた人の顔を覚えています。その人たちの醜さを憎み、恨みました。許せないという気持ちは正直言ってゼロにはなりませんが、私は私が幸せになるため、ただ、それだけのために生きていきたいと思うようになりました。これは、年を重ねたせいかもしれませんね。他人の言動によって自分の心や人生が大きく揺さぶられることに疲れてしまいました。

他人がどうあれ、私は自分の信条や信念を変えたくはないなぁと最近は強く思っています。他人が自分の言動にどう反応しようとも、それを批判したり拒絶したりするのは違うんじゃないかなと思うようにもなりました。人にはそれぞれ事情があって、己が信じた選択をしながら必死に生きていこうと思っているだけなのでしょう。かつて憎んだ人たちもそうですし、私もまた、そうだからです。

優しさ(愛)に包まれて生きたいと願う気持ちが強くなればなるほど、誰かを優しさ(愛)で包めるような人になりたいという思いも強くなりました。今まで「自己犠牲」という言葉だけが頭の中で独り歩きをしていて、愛情とは何かという大きな疑問を抱えながら生きてきました。憎んだ相手を許そうとしない自分が邪悪な人間に思えたからです。でも、相手を許そう、愛そうとすればするほど裏切られたという気持ちは膨らむし、自分の心が壊れていくのを感じていました。

「自己犠牲」という言葉をどう解釈するかは宗教によって様々、諸々ありますが、自分の行いがそれを「愛」や「幸福」と心から思える生き方の中には「犠牲」という観念は生まれないのだと思います。どこかで自分を蔑んでいるからこそ「自分の心を犠牲にする」ことで、悪魔のような自分から、せめて偽善者にでもなりたかったのだと思います。



だからこそ、

『自分が我慢すれば』という考え方は私の中から出て行って欲しい思考の一つです。

「他人に優しくするって言っておきながら?」

と矛盾を感じるかもしれませんが、自分が我慢すれば、諦めれば、という気持ちって実は後々の自分をとても不幸にしますし、その不幸を知った相手をも傷つけることになります。本当に自分がそうしたかったからという行為であれば何の後悔もなく誰も不幸になりません。

安定と不安定、希望と不安を繰り返しながら夫婦で歩んできた24年。もうすぐ交際記念日を迎えます。
この日を忘れないようにしているのは、付き合い始めたときの思いを忘れないためというよりも、
『どんなことも一緒に乗り越えていく』と思った覚悟を、ずっと持ち続けていたいと思っているからです。

互いを思いやって暮らしていくことは、24年経った今であっても容易ではありません。何が相手にとって良いことなのか、何が優しさなのか、そんなことを考えながら暮らしています。いつの間にか感謝の気持ちが薄れていたり、触れてはいけないところに平気で触れてしまったり、地雷を踏んでしまうことがあります。一番優しくしてもらいたいし、優しくしてあげたいと思う人の存在から、私は日々、愛や優しさについて考えさせられています。

この先、どんなことがあっても優しさを忘れないでいたいなぁ。それには、もっと強くならないといけないなぁ。だとしたら、もっと、自分の心に肥料を与えなきゃ。自分の心に畑を耕して、草花がしっかり根を張れる土壌を作らないと!そしたら、見たこともない花が咲いて、感動して、その花を欲しいっていう人にプレゼントして、その花がまた誰かの贈り物になって、私の周りにどんどんお花畑が広がっていくような、そんな人生を送りたいです。



 

こんな人になりたい


こんなことをモットーに生きています


こんな人生を送ってみたい!


あなたのお話をぜひ聴かせて欲しいです。


 

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