自分が感じている自分の欠点(短所)。見方を変えると長所だったりします。
例えば、神経質すぎるところが短所だと思っていても、それを”細かいところまで気配りのできる人”だと長所に捉えてくれる人がいます。
自分はお節介だなぁと思っていても、そのお節介のおかげで助けられたと思う人はいますし、”面倒見の良い人”にはその性格を慕う人が大勢いますよね。
「神は我々を人間にするために何らかの欠点を与える」
これは、シェイクスピアの言葉です。この言葉は、
「完璧な人間はいない」
「人間には欠点がある」
そう解釈することもできると思いませんか?
自分が思っている欠点(短所・コンプレックス)は、その人らしさを象徴する個性と言えると思います。「自分らしさ」に気がついている人ほど、人生を楽しみ、慈しみ、謳歌している気がします。その点で言うと、私は「自分らしさ」を強みに変えて生きるすべを未だに模索中です。
自分らしさというものは、自分にはわかりにくいのかもしれません。自分の良いところよりも直したいと思っていることの方が目立って見えてしまうからです。他人と関わることで自分というものが見えてきますが、自分というものが見えてくると、どうしても人は他人と自分を比べてしまうところから抜け出せなくなってしまいます。
そして、人は自分にはないものを持っている人に惹かれる傾向があります。この気持ちがエスカレートすると嫉妬に変わります。ないものを欲しがり羨むよりも、あるもので満足することができたら、きっと、悩みのタネを減らすことができると思うんですけどね
あんなところがあるけど、こんなところもある。
だから、人間って面白いし愛おしい。
もともとコンプレックスの塊の私は、自分にも他人にもそう思うように心がけています。自分が完璧さを求めてしまうと、いつの間にか他人にも完璧さを求めてしまう傾向があると気づいたからです。
人にはそれぞれ良いところと悪いところがあって、それが、その人の個性を作っています。唯一無二の存在ということです。素晴らしいことだと思いませんか?こんな私であっても、私と同じ人は絶対いないんだなって思うと、なんだか「エッヘン!」って思えてきます
でも、ナイモノネダリの心境になるときってあるんですよね。まるで風邪をひいたように不意に自信をなくしてしまったときとか。それは、自分と向き合いなさいというサインなのかもしれません。
自分にないものを他人に見つけるのではなくて、他人が持っているものに嫉妬するだけではなくて、
私には何ができる?
私には何がある?
私にしかないものって?
こんなことを真面目に、じっくり考える時間を持つタイミングかもしれないです。他人と比べる必要も、誰かと同じになる必要もないんだって思えると気持ちが少し楽になるんです。
あなたが”こうであったらいいな”と思うとき、つまり、理想や願いがあるときというのは、生きる目標や目的を見つけたときだと思うのです。
失敗したことや自分の短所に気が付いて思い悩むということは、理想の自分に近づきたいと願っている証拠だと思います。ですから、今、何かに悩んでいたり、コンプレックスと戦っている人がいたら、それは、とても喜ばしい状態だと思って欲しいです。本当に自分がしたい何か、本当に欲しい何か、本当は変えたい何かを知るチャンスが到来したのかもしれないのですから!
「神は我々を人間にするために何らかの欠点を与える」
この言葉の「欠点」という部分を、違う言葉に当てはめてみてください。
「問題」「試練」「課題」「出会い」「別れ」「逆風」「贈り物」「苦悩」「衝撃」「疑問」
全てが自分の成長のために与えられていると思えば、それはもはや「試練」でなく「ギフト」に変わります。起こることの全て、湧き出でる感情の全てには必ず意味があります。
完璧な人などいない、という思考は、気持ちを少しだけ楽にしてくれませんか?完璧だと思っていた人が失敗したり、その人の欠点を見つけた途端に親近感が湧くことってありますよね。自虐ネタで仲間と打ち解けた、なんて経験をお持ちの方も多いかと思います。
コンプレックスを自分の武器にできたならいいなぁ!
40歳を超えたあたりから、ハードルはどんどん高くなってきましたけど自分の容姿、性格、得意不得意、長所短所...全てを味方につけて進みたいです。
目指したい理想像に近づけるような想像や創造をしていくことに、人としての成長があり、生きる意味があるのではないかと信じて毎日を送っています。
自分の強み、弱み、その他、自分について語りたい〜と思う方、ぜひお問い合わせください。あなたの魅力について一緒に考えましょう。
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