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mental counseling

コラム

2018.09.01 

コラム

あなたが選んだ道でしょう

こんにちは。

今からさかのぼること20年ほど前、起業したての夫と幼子ふたりを抱えた生活は金銭的にも精神的にも非常に苦しい時期でした。

このままじゃ不安に押しつぶされてしまう...



誰かに心の内を話したくなって、かつての職場の同僚に近況を記したメールを送りました。子育てが大変だとか、家計がどうとか、義両親との関係に悩んでいるなど、結婚生活の愚痴や不安を書き連ねたメールです。同僚といっても学生時代の友人でしたので、こういう話も普通に受け止めてくれると思ったんですね。

「えー?マジで〜?」

「大変だねぇ。結婚って面倒くさいね〜。」

そんな感じの返事がかえってくると思っていましたが、友人からの返信は私が期待していたものとは大きく違いました。

「いろいろあると思うけど、それがあなたの選んだ道でしょう?私にはどうすることも出来ないし、自分でどうにかしないとダメじゃない?」



友人の言葉は胸にグサリと突き刺さる大変厳しい言葉であったし、心が崩壊しかけていた私は血の気が引くほどの衝撃を受けました。

確かに、私が選んだ道(人生)です。

結婚したのも、子供を産んだのも、仕事を辞めたのも、同居したのも。

問題は自分で解決すべきだし、経緯や理由はどうあれ選択したのは自分です。誰のせいにも出来ないことだというのも「今なら」理解ができます。

彼女は励ましのつもりだったかもしれません。乗り越えて欲しいという強いメッセージが込められていたのかもしれません。でも、あのときの私にはそうは受け取れませんでした。励ましの言葉が欲しかったし、私の気持ちに共感を示して欲しかったからです。

独身の彼女に相談する内容ではなかったのかもしれませんが、自分を理解してくれる友達だと思っていたからこそ、相談相手に彼女を選びました。自分が求めていた反応とまるで違う反応が返ってきたことに対して友人を責めるつもりはないのですが、突き放された感じがたまらなく悲しかったです。

「みんな自分の人生で精一杯なんだなぁ...」

「このまま辛さを我慢してなきゃいけないのか....」

「もう誰にも相談できないなぁ...」

もともと孤独感を強めていた時期でしたので一気に心が折れてしまいましたが、このことは後々、私の人生に影響を与えて続けていくことになりました。



その影響の一つとして子育てが挙げられます。

私は、自分で決めたことや選んだことについて覚悟と責任を持てるようになって欲しいと思って子供たちを育ててきました。

だけど、だからといって、一度決めたことを最後まで全うしなさいと強要するつもりはありません。そのとき考えて出した答えであっても、物事の過程で考え方や対処の仕方が変わってくることがあると思うからです。

選んだ道を全うするも良し、違う道を歩いてみるも良し。

最終目標は本人が幸せだと感じられる人生を歩むことだと思っています。親が与えた成功や、親が押し付けた「こうであるべき」という観念や幸福論は、子供が問題にぶつかったときの言い訳になってしまいます。

「だって、お母さんがそう言ったから」

「お母さんがそうしろって言うから」と。

人生を設計するのは自分自身。

「失敗した」と後悔することはあるでしょうし、

「どうしたらいいんだろう」と迷ったり弱気になることがあって然りだと思うんです。

そんなときに

「ほら、だから言ったじゃないの!」

「やっぱり私の言った通りでしょ!?」

「だって、あなたが選択したんでしょう?」で終わらせるのではなくて

「話を聞くよ」であったり「話を聴かせて」と言ってあげられる人でありたいし、そういう親でありたいと思っています。



メールを送った友人とはしばらく連絡を取り合っていた時期がありましたが、数年前から一切の連絡が途絶えました。紆余曲折を乗り越えて元気で頑張っていることを彼女に知ってもらいたくて年賀状での近況報告は欠かしませんでしたが、こういう行動もまた、彼女にとってはうっとおしかっただろうと反省しています。私は自分の辛さを分かって欲しいと思うだけで、彼女の話に耳を傾けることがありませんでした。実は私が彼女の心を傷つけていたのですね。

私は彼女に突き放されたことで、大事なことを教わったと思っています。

彼女から励ましと共感を得られなかったことで、私は孤独と自身の弱さと戦い続けることになりました。そのおかげで、強がりも弱音もどんな気持ちでも受け止めてくれる人がそばにいる、ということがどれだけ人を癒し、強くするかということを学んだわけです。

あのときの私は、問題の解決方法を教えて欲しかった訳ではありません。ただ、励ましと共感が欲しかっただけでした。家庭を守りながら精神を正常に保つこと、何事もなく1日を終えることに必死になっていました。もしかしたら、半ば精神は病んでいたかもしれません。誰かを傷つけながら血眼になって愛をむさぼり、生きていたような気がするのです。

 

『あなたが選んだ道(人生)でしょう?』

この言葉は、生きる強さに変わりました。

自分が選んだ人生なのだからどうしょうもない...ではありません。

『あなたが選んだ道(人生)でしょう?』

そうよ、その通り!

自分で選んだ人生なのだから落とし前は自分でつけるし!

 

今はこれくらい強気に思っています。

自分の人生の主導権は自分で持っていたいなと強く願っているんです。誰かのせいで自分が不幸だと思うのは、もう嫌なんです。どんなに自分が真面目に生きていても、大事に巻き込まれることはあります。それでも、それを嘆いたり恨んだりしてばかりでいると、生命力をどんどん他人に奪われていくんです。自分が自分で無くなっていく恐怖はたまったものではありません。誰かを恨んだり何かのせいにして生き続けると、自分が何のために生きているかを見失います。

あとどれくらいの人生が残っているかわからないからこそ、人に歩かされる人生なんてまっぴらだなって思います。

 

この人生は私のもの。

私には幸福のために生きる権利がある。

これが私が選んだ道(人生)よ!って胸を張って生きていきたいと思っています。

 

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