こんにちは。
人は社会の中でいくつもの役割(顔)を持っています。
女性(個人)、母親、妻、子供、学生、社会人...
かつての私は、それらを全て100点にしようとしていました。100点、つまり『完璧な自分』になろうと一生懸命もがいていたのです。
「完璧じゃなかった」
「こんなんじゃダメだ」
「まだまだ頑張れるはず」
理想に近づけない自分を必要以上に責めたり反省したりして苦しかったです。理想を追い求めるうちに、いつの間にか理想に近づけない現実に追い詰められてしまいました。
目標を100点に設定しなくてもいい
完璧になろうと思わなくてもいい
完璧な私じゃなくても愛されている
私がこんなふうに思えたのは、ごく最近のことです。尊敬する人の話を聴いたり、本を読んだり、コンサルやセッションを何度も受けたりして得られた嬉しい成果です。
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あなたに完璧を求めた人はいるのですか?
完璧になったらあなたは誰からも嫌われない存在になるのですか?
家族に対しても完璧を問うのですか?
あなたは完璧な人しか愛せないのですか?
あなたが一番望んでいることは完璧になることなのですか?
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こんな問いに答えていくうちに、完璧ではない自分を愛してくれる人たちの存在に気づき、その愛情をひしひしと感じました。気づきはこれだけではありません。
私は、完璧な自分でなければ愛されないという怖れが強かったのだと思います。また、褒められたい、認められたい、という気持ちも相当強かったです
私が完璧にしたかったのは、周りからの絶対的な評価でした。
どんな私であっても大切に思ってくれる、必要だと思ってくれる人がいるというのに....。
そして、私が完璧さを求めれば求めるほど、他人に対しても完璧を求めていた傾向があったことにも気づけました。
完璧でありたいという理想は自分に足かせを履かせていたようなものです。そして、周りにいる人たちに対して冤罪を突きつけていたのと同じかもしれません。ただ、完璧を求める気持ちは悪ではないと思っています。その気持ちがあったからこそ頑張れた自分がいたのは確かですし、得られたことも多かったからです。肝心なことは、「〇〇でないといけない」と思い込みすぎないことだと思います。
70%達成が目標!70点で合格!
こんなふうに自分の中に合格ラインを設定したら気持ちが楽になりました。(目標値は日によって変わります)
どこかが合格点に達してなくても他の部分でカバーして、平均70点になればいいかなと思うようにしています。残りの30%は伸びしろです。その伸びしろは今後の課題とも言えるし、可能性とも言えるし、大事な個性かもしれません。
これは、自分だけではなく、他人に対してもそう思うようにしています。すると、他人の失敗や間違いに対して寛容な気持ちを持てるようになりました。
どんなに完璧に見えている人にも、その人にしかわからないコンプレックスや苦悩があります。得意なことがあれば不得意なことだってあるでしょう。私たちは100点を取るために生きているわけではありません。100点を取って誰かに褒められることに喜びは感じますが、誰かに褒められるための人生ではないのです。
自分が生きやすくなるように、生き方や考え方を工夫していくと良いです。
完璧というのはあくまでも自分基準です。
今日の自分は50点を目指そう!まずはできることから!
それから少しだけ高い数値を目標にしてそれをクリアすれば、達成感を味わえます。
毎日のちょっとした達成感は自己肯定感を高めます。
自己肯定感が高まると自分に自信がつきます。
自分に自信がつくと他人の目線(評価)を気にした生き方から抜け出せます。
自分の生きやすい環境は自分の考え方次第で作っていけるのです。
私たちは生きているだけですでに誰かにとっての完璧な存在です。マイナスの部分があっても、そこを周りの人と補いあって生きていくことが可能なのです。そのために誰かがいて、そのためにあなたという人もここにいるのですから。
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