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mental counseling

コラム

2018.08.08 

コラム

子育ての正解とは

こんにちは。

子は親の背中を見て育つという言葉がありますが、我が子たちに私の背中はどのように映っていたのか、今はどんなふうに見えているのだろうかと今も時折考えます。

閉鎖的な子育てをしていた私は、考え方も閉鎖的で消極的だったと思います。子育てに正解はないと言われれば言われるほど、正解が欲しくなりました。テストの点数、通信簿、偏差値といった他人からの評価によって自分の実力を知ってきた学生時代。あんなに息苦しかった思いをしたにも関わらず、私は母親として一体何点なのだろうか?といつも不安に思っていました。



子育て中に選択や判断に迷ったとき、私は

親にしてもらって嬉しかったこと、嫌だったこと

をものさしにしていました。つまり、自分の親は自分にどうしてくれたか、自分は親にどうしてもらいたかったのかを考えたのです。なぜなら、親(家庭)は私という人格を作った基礎であるし、世間のモラルから極端に逸脱した人間に自分は育っていないと思っているので、私にとって親は一番信ぴょう性のある、子育てに成功した人だと考えているからです。

でも、当然のことながら、私が親にしてもらいたかったことや、私の親が私にしてくれたことが我が子にとっての「正解」にはなりません。自分の価値観を無理やり子供に押し付けたところで、子供自身の自我や価値観を無視した提案は、導きたい結果とは違う形で自分に跳ね返ってきます。運良く解決できることもありますが、親が望む事の顛末と子供が望む問題解決の方法には相違が生じるのです。私はそれをなかなか受け入れられませんでした。

どうして、そういうことを思うの?なぜ、そんなことをするの?どうして、私の気持ちがわからないの?

こんな思いが子育てをより一層難しくしました。今だから言えることですが、

子供は人格を持っている一人の人間なのだから、違って当然

という意識を持てれば、もっと子供たちの心に寄り添ってあげられたと思うし、私も気楽だったのになと思います。空に浮かぶ雲を見て「綿あめのように見える」私と「クマさんに見える」子供。同じものを見てもその感性には違いがあって、どちらも間違いではないんだなっていう、とても単純で純粋な自分と他人の違い。私たちは生きているだけで奇跡であり素晴らしい、唯一無二の存在です。存在のありのままを認め合う考え方や関係性を築くのは、親子の最初の学びと言えるでしょう。自分が思い描く理想の育児論と子供の成長のあり方に囚われすぎて苦しかった私。もっと早く気付けたら良かったです!



そもそも「子育てはどうなることが正解ですか?」と問われても答えは一つではありません。親子の数だけ問題や課題はあるし、家庭の数だけ描く幸せの形は違います。そして、子供の数だけ子供の夢があります。何が正解かは親が答えを出すものではないのでしょう。ですから、親が世間体や世間のものさしに囚われるのではなく、子供が何を望んでいるのかを一番に考えたら、親のできることは意外と少なくて、でも、子供に提案できる選択肢や考え方の幅は広がって、のびのびした子育てができるのかもしれませんね。

育児本の通りに子供が育てば、育児に悩むお母さんはいなくなっているはずです。良い親になりたいという志は持っていて悪にはなりませんが、あなたが思う良い親の定義、子育てのノウハウですら、誰かが勝手に作った幻にいつの間にか洗脳されているだけかもしれません。

 

子供は親の思う通りには育ちません。それが、ある意味「子育ての正解」かもしれませんよ。

ですから、子育てに正解を求めるのではなく、最好(最幸)を見つけていきましょう。

 

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