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コラム

2023.12.26 

コラム

ペットロスとの向き合い方

こんにちは。

今日は『ペットロス』との向き合い方についてお話ししたいと思います。その前に私の経験したことについてお話しさせてください。悲しい思い出が蘇って辛くなりそうだと思う方は記事の下方(*印)まで飛ばしてくださいね。

 

私はかつてミニチュアダックスフント2頭とポメラニアンとチワワのミックス犬の3頭(全て女の子)と暮らしていました。



 

最初にお迎えしたのが2003年。去年末っ子(写真中央)の犬が亡くなったので19年間犬と暮らしてきたことになります。それぞれおよそ15年生きてくれたので天寿を全うしてくれたものと思っています。末っ子は病気になって余命宣告を受けてから数年も生きてくれましたから、頑張って生きてくれたと思います。

1頭目が亡くなったとき、残った2頭のおかげで「寿命だから」ときちんとその死に向き合えました。2頭目が亡くなったときも残った末っ子のおかげで「ありがとう」と死を受け入れることができました。それぞれ死の予兆があったので心構えもできていました。

問題は末っ子が亡くなったときです。

この末っ子は起きてから寝るまでずっと一緒にいました。辛いときや悲しいとき、私が泣いているとき、そばにいてくれたのは家族ではなくこの末っ子でした。病気だったし、いつか訪れる死は日々覚悟していたつもりでした。

15歳の誕生日を目前にして彼女が日に日に弱ってご飯を食べなくなって、彼女がいつも好んで佇んでいた窓辺でバタン!と倒れてしまったとき....私は半狂乱状態になりました。

何度も大きな声で名前を呼び3回死の淵から戻ってくれたのですが、力尽きて動かなくなったときに、私は自分の人生が終わった感覚になりました。

ずっと一緒にいようねって約束してたのに


どうして先に逝っちゃったの?


おいていかないで


戻ってきて


この先どうやって生きていけばいいの


 

私は泣き叫び続けました。ついさっきまで生きていたのに、「死」というのはあまりにも唐突で残酷で非現実的でした。

開いた目をそっと閉じ、少しずつ冷たく硬直していく体を撫でました。心臓をマッサージし続ければまた戻ってきてくれるかも?とマッサージしていましたが、「もうやめよう」と手を止められました。

こんな最期は予定していませんでした。イメージの中では、「ありがとうね」って言い続けて静かに涙を流す自分がいました。もちろん、「ありがとう!!」とは言えましたが、想像からかけ離れた大きな喪失感と悲しみは火葬してからもずっと続きました。人生で初めて味わった感情でした。

使っていたハウスやゲージ、食器、餌、お菓子、トイレ、おもちゃを片付けながら、心の整理をしていこうと思いましたが、部屋に残る犬のにおいや床のしみ、服や布団についた犬の毛....それらのすべてが犬がいなくなってしまった辛い現実を突きつけてきます。

もうトイレや餌の心配をしなくていい、もう咳で苦しむ姿を見なくて済む。天国で先住犬と会って元気に美しい世界で走り回っている。家族に愛されて幸せな人生だったと思う。

家族や周りの人からは優しく声をかけてもらいました。

実父の死は「親孝行が足りなかった」とか「もっとああすればよかった」「こうすればよかった」という後悔はもちろんありました。しかし、犬の死はまた別なんですね。まるで我が子を亡くしたような気持ちなのです。

 

 



*亡くなってから1年。当時に比べれば「私も死にたい」と思うことはなくなりましたが、悲しさや寂しさはどうやっても完全には消えてはくれません。

 

カウンセラーの勉強をしているとき、ペットロス専門のカウンセリングを学ぼうとしたことがありました。いざというとき(愛犬が亡くなったとき)に役に立つ知識だと思ったからです。でも、そのときの私は愛するものを亡くした悲しみを癒せるカウンセラーになれる自信がありませんでした。実際にペットロスで悲しむ人の体験談を読むだけで胸が張り裂けそうになってしまったのです。

今も、私にはペットロスで悲しむ人を癒す力などないと思っています。でも、亡くした子を思って一緒に泣いたり悲しんだり、辛いですよねって慰めあったりすることはできるんじゃないかなと思っています。

亡くした子を忘れる必要はないと思います。むしろ、忘れないでいることの方が大事なのではないかと思うようになりました。忘れよう、早く元気になろう、そう思えば思うほど苦しくなりました。だったら、思う存分泣いて、懐かしんで、ずっとずっと忘れないでいる方がいい気がしています。

犬を見るのも辛かったけど、犬のにおいや柔らかな感触が懐かしくてペットショップに足を運びました。小さな仔犬が戯れあっている姿に我が子たちを重ね合わせて涙が出そうになりましたが、懐かしい楽しい思い出も蘇ってきました。

犬って可愛いな


私は犬が大好き


あの子たちに会えてよかった


あの子たちがうちに来てくれてよかった


私の人生を素晴らしいものにしてくれた


犬と暮らす幸せを教えてもらった


ありがとう、本当にありがとう


またいつか会えるよね


そのときまで待っていてね


いつも思っているからね


いつも見守っていてね


あの子たちは死にたくて死んだわけじゃありません。あの子たちだってずっと一緒にいたいって思ってくれていたに違いありません。泣き虫の私をよく知っている子たちです。天国で私のことをずっと気にして見ているかもしれないです。

死との向き合い方はそれぞれです。

私はとことん泣いて悲しみました。今も写真を見るたびに胸が痛いです。それでも、私は最高の思い出をあの子たちからもらいました。悲しい思い出よリもはるかに楽しい思い出を多く与えてもらいました。

人との出会いもペットとの出会いもご縁です。人も動物も命は有限です。愛するものを亡くした悲しみを背負って生きるのは生きている人の宿命です。命は循環しています。私の親も自分の親や兄弟を亡くした悲しみの中を生き、親自身が老いていきます。私も同じです。子供だった私が親になり、自分を育ててくれた親の死を看取り、次は自分の番です。

死と向き合うことというのは生きている限り避けて通れないこと。亡くした命が生きるという意味を改めて教えてくれます。

末っ子が亡くなったときは生きる希望を失って、何もかもが嫌になって、天涯孤独になった気がしました。誰もこの気持ちを理解してくれないと感じました。でも、逆の立場になったとき、私は愛するものをなくした人にかける言葉の正解がわかりません。正解はその人しかわからないことでしょう。

「いつまで悲しんでるの?」と言われたっていいんです。

「時が解決するよ」と言われてもそうではないことを知っています。

とことん悲しんでいいんです。無理に忘れようとしなくても元気になろうとしなくてもいいんです。

ふと、気づくときがきます。

忘れない限りずっと一緒にいるんだということに。

 



 

引越しを機に愛犬たちの思い出コーナーを作りました。日当たりの良い部屋で幸せそうに笑っている写真と骨壷を並べています。埋葬する考えは今はまだありません。それはあまり良いことではないという人もいますが、今の私は良いとか悪いとかは考えてはいません。いつか私の骨と一緒に混ぜて地球に撒いてくれと子供たちには言ってあります。

遺灰を宝石に変えたり被毛でぬいぐるみを作るという方法もネットで見て惹かれました。

しかし、私もいつかは死んでしまうので物として犬たちを残すことは考えませんでした。

ペットロスで苦しんでいる方、お話をして気持ちが楽になるのだとしたらぜひメッセージをくださいね。

 

新しい子をお迎えできるならお迎えしてもいいと思います。亡くなった子の代わりとしてではなく、新しい我が子としてなら。犬との暮らしは本当に幸せだったので、もう一度・・・という思いはありますが、自分の年齢と犬の平均寿命を考えると、うーん、私はもう飼わない(飼えない)かな。同じ犬種をお迎えしても亡くなった子と比べてしまいそうですし。だから、子供たちに「犬好きな人と結婚して犬を飼いなよ」とちょいちょい言っています(笑)