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mental counseling

コラム

2020.02.03 

コラム

気持ちは言葉にしないと伝わらない

こんにちは。

年が明けてもう1ヶ月。

ここ最近、本当に自分の気持ちをわかってもらいたいと願う相手がいるのなら、相手が自分の気持ちを察してくれるのを待たずに、自分からきちんと相手に伝えないとダメなんだなぁと思うことが増えました。伝える努力をせずに「わかってもらえない」と嘆くのはおかしいことなんですよね。



去年、実母が転倒して腕を痛めました。もともと家事は一切しない父でしたから、そんな時にも母のフォローは全くと言っていいほどしなかったようです。そのときの父の非情ぶりを未だに母から聞かされています。

「怪我しているのはわかっているのだから、家事を手伝おうって思うのが普通じゃない?お風呂を洗えないからシャワーで済ませたのよ」

と母が言ったので

「お父さんに、お風呂に入りたいからお風呂を洗って欲しいって言った?」

と尋ねると

「言ってもどうせやってもらえないから言ってないわよ」

と答えた母。

「普段から家事をやらないんだから、お願いしないとやってもらえないんじゃない?シャワーで済ませてるから、シャワーでいいんだなって思っちゃうんじゃない?」

と母に言うと、

「怪我しているんだから普通は....」「思いやりがある人なら普通は...」

と延々恨み節。

言っても仕方ないからって言うのはわかります。今までもそういうことの繰り返しで、そういう夫婦関係を続けてきたのだから父も母も急には変われないでしょうし、おそらくこれから先もよっぽどのことがない限り変わらないと思います。文句を言いながらも許してきたのは母で、それが当たり前だと母に甘えてきたのが父なのですから。

父と母の関係性を批判したいわけではありません。客観的に見るとお互い様なところもあるし、それが、父と母の生き方だったのですから。でも、「普通はこうであるべき」を周りの誰もが同じようにそう思っていると考えているのだとしたら、それは間違いだと私は母に言いました。自分が思う「こうであるべき」が他人にしたら「そうではないこと」がたくさんあることを分かってもらいたかったのです。



気持ちは伝えないと伝わらないんです。自分の思い通りに他人は生きていません。その人が思うとおりに生きているだけです。誤解やすれ違いが生じるのは当たり前だし、自分の「普通」が通用しないことだらけです。

「手伝って欲しい」と頼んでもやってくれないなら話は変わってきますが、お願いをしてもいないのに「手伝ってくれなくてひどい」と言うのは違うと思いましたし、それくらいはわかるだろうって勝手に思われて、勝手に恨まれて、勝手に悪口を言われたら、私は困ります。納得いきませんよね。「言ってくれたらいいのに」って思います。

気持ちを察してほしくて、相手の前でため息をついて「どうしたの?」って言葉を待っていたり、不機嫌に接して相手が自分の行動を省みるよう仕掛けてみたり、私にもずるいところがあります。結局、そんなこずるい手を使っても相手はこちらの考えがわからないのでスルーされて、それに「何もわかってくれない」「気付いてくれない」と腹を立てることもあります。私が何も説明をしていないから相手は何もわからず、何にも気づけないだけなのに相手を追い込もうとするなんて意地悪ですよね。

 

不平不満って、結局は日頃の小さな出来事が溜まりに溜まった結果の噴出だと思います。そうだったらいいのにとか、こうして欲しかったとか、自分はこう思うのにっていう思いがどうにもこうにも叶わなくなったとき、一気に攻撃(口撃)に出るパターンは、自分対相手(敵)にしかなりません。

そうなる前に、もっとできることがあるんじゃないかな。きっと、あると思います。

自分が発した言葉で相手を傷つけることを恐れ、何も言えなくなる場合もあります。自分が我慢していれば何も変わらず平和に過ぎていく日常。それを守りたくてじっと耐えている人もたくさんいると思います。みんな、何かしらを我慢して人との均衡を保っているのではないでしょうか。それは、人とうまく付き合っていきたいという気持ちが根底にあるからです。嫌われたくないという気持ちもあるでしょう。

でも、あるとき思い切って本音を話したら

「言ってくれたらよかったのに」

と言われたことがあるんです。どうしてもっと早く打ち明けなかったんだろう。悩んだり傷付いたり疑ったり我慢してた時間って一体なんだったんだろう?ととても後悔しましたし、お互い思っていることが明確になり話をして本当に良かったと思いました。



あなたの周りにいる人は、少なくともあなたとうまくやっていきたいと思っている人がほとんどだと思います。そして、今のあなただからこそ、今のあなたと付き合っている人もいます。人に合わせて生きることも大切ですが、ちょっと考えてみて欲しいのです。自分は本当はどんな関係をその人と築いていきたいのかを。

生きていれば、本当の自分はどうしたいのか、どう思っているのかを真正面から突きつけられる場面があります。身内のみならず、自分の周りにいる人たちとの関係に悩む時がきます。今まで人間関係において数々の課題を突きつけられてきた私が思うのは、万人に好かれようとしなくていいし、万人に許しを乞わなくていいし、万人に認められなくてもいいから、自分が伝えたい気持ちは伝えたほうが良いということです。伝えた結果を気にするより、伝えない自分のずるさや弱さを気にするほうが先なのだと思います。

人を傷つけるくらいなら自分が傷ついたほうがいい。我慢できるなら我慢して波風を立てないほうがいい。

実は、ずーーーーっとそう思って生きてきました。今もその傾向はあります。でも、この考え方が自分を苦しめていることにようやく気がついたのです。そして、こういう考え方をしている人を目の当たりにした時、

もっと自分の生き方、自分の感情を大事にして欲しい!と心から思いました。良い人だと誰かに褒められるために生きて疲弊するんじゃなく、いろんな人に迷惑をかけたけど楽しい人生だったわー、思い残すことはないわーと笑って死ねるような人生を送りたいと思ったんですよね。「化けて出てやる」なんて思って死にたくはないし「恨めしや〜」なんて言いたくないです。

自分の感情を押し殺してでも守りたい関係は正直言ってあります。でも、それが本当に自分の心を殺してまで守るもの?大切なもの?と自分に問いただしたとき、即答できませんでした。きっと、それが真意なのでしょう。

私は時代劇が好きでよく見るのですが、誰かのために切腹する人を見て、ある種の美学を感じていました。でも、それを自分に置き換えると絶対にできないなって思います。つまり、私はそういう生き方を望んではいないということです。自分の死によって誰かが守られるかもしれないけど、いや、私は生きて誰かを守りたいし、恥を背負ってでも生きていたい。それくらい、生きることに執着しているんです。だから、今まで大事にしていた人生の美学に限界を感じ始めている自分に気がついたし、美学だと思っていたことは刷り込みであって本来自分が求めているものではなかったかもしれないと思うと怖くなってきました。



そんな私だからこそ、声を大にして言いたいのです。

思いが伝わらないのは思いを相手に伝えていないからです。現状を変えられるのは自分しかいません。自分の気持ちを正直に伝えることは悪ではありません(誰かをネットで叩くとか、いじめ等は論外です)。むしろ、黙っていることが自分にも他人にも罪なことかもしれません。

人はこう生きるべきだし、愛とはこういうものだ、という思い込みや刷り込みはないでしょうか。心に抱く罪悪感は他人に対してではなく、実は自分に対してのものかもしれません。本当に自分はそう生きるべきだと思い、そうするべきだと思っているのか改めて自分の心を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

その一歩として、我慢している何かを手放してみて欲しいのです。伝えることで。

 

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