こんにちは。
『もしも、出会っていなかったら』
『もしも、結婚していなかったら』
『もしも、続けていたら』
『もしも、許せていたら』
『もしも、愛せていたら』
人生の中で『もしも、選択を違えていたら』と思うことは少なからずあると思います。後悔とは違う、何かこう、運命を憂うような呪うような、そんなことが。
でも、『もしも』それをしないでいたとしても、『もしかしたら』今と同じような運命を生きているのかもしれないなぁと最近思います。
なぜなら、私は私であって、私以外は私じゃないから(こんな歌がありますね)。
何を選んでも、どの道を歩んでも、きっと、ここにいる私がまた違った悩みを抱えて生きているのだと思うのです。
どんな選択の前後にも様々な思いがあって、苦しみ悩み抜くことに変わりはありません。希望や後悔が交差し合う中で、きっと、これを選べば道は拓けるのだと信じて生きます。一生懸命になればなるほど、得るものも失うものも大きいでしょう。
経験がないことを例にして話すのはどうかと思うのですが、たとえば離婚です。結婚生活の中ですれ違いが生じて離婚という道を選んだとしましょう。一生を誓った相手と離婚をするのは肉を削がれるような辛さが伴うことだと思います。離婚によって何かから解放される光は見えたとしても、無傷ではいられない気がします。「この人と結婚していなかったら私は幸せだったし、離婚という道は選ばなかったかもしれない」と、その時は思うでしょう。でも、違う人と結婚していたらうまくいっていたかと言えば、違うかもしれません。
繰り返しになりますが、私は私であって、私以外にはなれません。ですから、反論を恐れずに言うと、誰と結婚してもうまくいくかいかないかは自分の問題なのかもしれないって思うのです。暴力とか浮気とか、そういうのは別問題として。
私と夫は仲が良い方だと思います。でも、たまにこんな話をするんです。
『もしも、他の人と結婚していたらどうなっていたと思う?お互いもっと幸せだったかもしれないよね』
『もしも、他の人と結婚していても、それなりに幸せに暮らしていたと思うよ。なんか、そういう変な自信がある』
これ、夫婦が共通して思っていることです。今が幸せじゃないということではなくて、誰と結婚してもそれなりに自分は幸せになりたいと願うし、幸せを守ろうとするんじゃないかな、という意味です。他のところに幸せを求めるんじゃなくて、同じ屋根の下で夫婦が自分と互いを幸せにする努力をし続けるというか。
だから、誰と結婚しても幸せを感じられるかどうかは自分次第なのかなと...
この人違う、あの人も違う、ってやってたら、何度結婚しても同じ結果になっちゃうような気がします。違いを見つけて対立するのではなくて、違いを認めあって譲歩しあって暮らすのが結婚だと思うし。
結婚したらというよりも、人は月日とともに変わっていくものです。見た目も価値観も生き方も、趣味や食生活だって変わっていくものじゃないですか?でも、もともとその人が持っているものって多分あまり変わらないと思います。そこ、そこの点をずっと尊敬できたり愛せていたらと思いながら私は結婚生活を送っています。
ちょっと話が逸れてしまいましたね。
自分がそうだと思ったことを選択をしていけばそれでいい。そうなったらそうなったで、また考えればいい。全部正解!間違いなんてない。だから、次の選択を怖がってちゃダメなんだ。
そんな結論を出した自分を褒めていいと思うこの頃です。だって、そうじゃないと悩んだり傷ついたりした自分がかわいそうでしょ(笑)それに、私以外、私じゃないから(←しつこい??)私が決めたことを私が認めなくてどうするの?誰かのために生きるって言葉は美しいけど、誰かのための犠牲になっているって感じたら、それはもう自分の人生ではなくなっていると思います。人生は自分のために生きなくちゃいけないから、だから、自分が決めた選択を誰かのせいにしないで、正々堂々と生きていきたいと思います。
今日は数年ぶりにホームベーカリーを出して食パンを焼きました。私以外誰も食べないけど、私が焼きたての食パンを食べたいから作りました。リビングから焼き上がりのパンの香ばしい香りが漂ってきます。あぁ、なんて幸せ。
日々、こんな感じでいけたらいいのにな。ただただ、穏やかに毎日が過ぎてくれればそれでいいのになぁ。後悔や迷いがなく生きていけたら、もっと幸福感を味わえる人生になるのだと思います。
今を生きる。全力で生きる。
それが、人生を豊かにする鍵だと強く思うのです。
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