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mental counseling

コラム

2018.12.19 

コラム

胸を張って生きていく


こんにちは。





私はアメーバブログを書いているのですが、アメーバを開くと「◯年前の12月にこんな記事を書いています」という通知が表示されるんです。
「へぇ、◯年前の私はこんなことを書いていたんだなぁ」と感慨深いものがあります。感慨深いものだけなら良いのですが、「反省したことが全く今に活かされていない!」と思う記事もあります。そんな記事を見つけると我ながらがっかりしてしまいます。
今日アメーバを開いた時に通知されていた記事は『これからはね』というタイトルでした。どれどれと思って通知をクリックして記事を読むとですね、「そうだそうだ、そんなことを思っていたんだった!」という内容でした。
その文章を書いた当時の心境と今の心境がほとんど変わっておらず、成長してない自分を痛感させられてしまいました。
以下が当時ブログに書いた『これからはね』というタイトルの文章(詩)です。









『これからはね』





私我慢すれば
黙っていれば
諦めれば
それで済むなら
「仕方ない」
「我慢しよう」
「黙っていよう」
「諦めよう」
そんなことの繰り返し
本音を話していたら?
諦めなかったら?
一体今ごろどうなっていたんだろう?
こんなふうに過去を振り返っている私は
きっと
本音を語りたかったのだろう
諦めたくはなかったのだろう
気持ちより結果や体裁ばかりを優先してた
それは
優しいとか真面目とかじゃない
ただ
素直じゃなかった
正直じゃなかった
「仕方がない」って言葉に逃げていただけ
何かが変わることが怖かった
傷つきたくなかった
だけど
それを認めたくなくて
信じたくなくて
誰かのせいにしながら言い訳を繰り返してきた
そこに気づいたなら
受け入れたのなら
もう誰のせいにもできない
だからね
もう
胸を張って生きていくしかないんだよ
胸を張って生きていけばいいんだよね

**************





どんな理由があって、どんな思いをしていて、どんな状況にいても、何かを選択するときの最終決断は自分がします。自分が決めたことなのに、結果が良くないと何か(誰か)のせいにしてしまうのってずるいですよね。そうなんです、私はとてもずるかったと思います。おまけにですね、他人の決断に関しても「なんで?」「やっぱりね」とか「言わんこっちゃない」「私はそう思わない」とか、やたら干渉やジャッチをしていたと思います。どうして相手の決断(選択)に敬意を払えなかったのでしょう!自分のことは棚に上げて、自分の正義ばかりを押し付けていた自分が恥ずかしくて申し訳なくて仕方がないです。





自分のために生きる。
胸を張って、生きる。





幸せを感じることを選んで、「したい」と思うことをやってみて、「いやだ」と思ったらそれを伝える努力をして、「ダメだ」と思ったらSOSを出す。人の顔色を見て生きている間は、本当の自分を生きてないと思うんです。私しか歩めない人生なのに、どうしてちゃんと歩こうとしなかったんだろうなって考えると、単純に怖かったんだと思います。人の目とか変化とか反響とかが。でも、本当の怖さって実は違うところにあって、自分の心を偽って生きることだと思うのです。









今年も残りわずかとなりました。一年を振り返って自分が幸福を感じた瞬間をたくさん思い出してみてください。あなたが幸福を感じたときはどんなとき?何をしているとき?誰といるとき?でしたか??
その「幸福感」をこの先もっともっとたくさん味わえるような生き方を一緒に目指していきましょう。





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