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mental counseling

コラム

2018.09.22 

コラム

人の言うことなんて

こんにちは。

 

人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。


こうすれば、ああ言われるだろう...


こんなくだらない感情のせいで


どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう




 

これは、ジョン・レノンの言葉です。

ジョン・レノンが自分のやりたいことを全うしてこの世を去ったかと言えば、そうではないかもしれません。(暗殺されてしまったので)しかし、この言葉には彼の考え方や生き方が凝縮されているように思います。

目標を持って何かに取り組もうとしたときに、もっとも気にすべきことはなんでしょうか?私は、他人からの評価ではなく、あくまでも自分の意志を持って行動していくことだと思います。

何かに迷っているとき、誰かに相談したとしましょう。そのとき、「やめた方がいいよ」とアドバイスを受けたら、あなたはどうしますか?

「あの人がああ言ったから私は諦めよう」「やっぱり無理だろう」

と思い、諦めてしまったとしたら、とても残念です。なぜなら、他人のアドバイスによって純粋な思いを曲げてしまったからです。アドバイスを求めることが悪いわけではなく、自分の意思や決断を他人に丸投げしてしまったことが問題です。自分で決めるべき選択を他人に任せ続けていたら、一体いつになったら自分の人生を歩めるでしょうか。

他人ができることは、あなたの話を聞き、それに対してアドバイスをすることだけです。意地悪な人はあなたの英断を揺るがすようなことを言うかもしれません。あなたの生き方に嫉妬して邪魔をするかもしれません。もちろん、あなたを心から心配しての気遣いで「やめたほうがいい」と言う人もいますよ。

何かに挑戦するとき、変化しようとするときにはとても不安になります。現状のまま穏やかに暮らして行く方が安心です。ですから、アドバイスをもらいたいと思うときは背中を押してもらいたい気持ちが強いと思います。「大丈夫だよ」と言ってもらえたら自信をもらえますよね。そこでマイナスの意見を聞いてしまうと気持ちが萎えてしまいます。

「やっぱり、やめた方がいいのかな」と。

ここで一度、あなたにできることとは何かを考えて欲しいのです。他人ができることはアドバイスだけです。あなたができて他人には決してできないことがありますよ。それは、自分の意思で選択をして実行していくことです。



 

人は生まれながらにして人生のスタート地点が違います。生まれや育ちの環境によって、与えられるチャンスの数は不平等かもしれません。だけど、『時間』は平等に与えられています。

生かされている時間に差はあったとしても、生きている間に流れている時間はみな同じです。その時間をどう使うかによって、私たちはいかようにも人生を送ることができます。

なんのために生きているんだろう?

どんなふうに生きたらいいんだろう?

と思うよりも、

こんなふうに生きていたい!

そのためにはどうしたらいいだろう!?

と思えたら、どれだけ前向きな生き方ができるでしょうか。

愚痴や弱音を言っているだけの1時間と、想像力を働かせて心に翼を持たせる1時間。同じ1時間ですが、私は圧倒的に後者の過ごし方を選びたいのです。

人から何と言われようと、「私はこれでいいのです」と微笑むことができるくらいの信念や志を持っていたいと思います。途中で「ほらごらん」と人に笑われようと、「何も後悔はありません」と言い切れるくらいの自分でありたいと思います。私は今まで随分と他人の意見に左右されて自分の志を曲げてきました。何も成し遂げられないことを他人のせいにして生きてきたことが、私の人生の後悔なのです。

人生を家にたとえてみるとわかりやすいかもしれません。

あなたはマイホームを建てることにしました。設計は自由です。せっかくなので実際に家を建てたことがある人、賃貸マンションに住んでいる人、都会に住んでいる人、郊外に住んでいる人、未婚の人、いろいろな人に集まってもらい、話を聞いてもらうことにしました。

「温かみのある木造住宅がいいな」

A「丈夫な鉄筋コンクリートの家がいいよ」

「犬を飼いたいな」

B「近隣に迷惑がかかるといけないからやめた方がいいよ」

「海外みたいに土足で過ごす家にしたいな」

C「ここは日本だよ」

「寝室にこだわりたいな」

D「寝るだけなんだからどうでもいいんじゃない?」

「自然を身近に感じられる場所がいいな」

E「駅近の方が絶対便利だよ」

「おしゃれなカフェを開きたいと思っているんだよね」

F「うまくはいかないと思うよ」



人それぞれ、思うことは違います。誰が正解で誰が間違っているとも言えません。これ、集まった人たちの意見を優先させたらどうなると思いますか?せっかく建てる自分の家なのに、自分らしさや自分の思いが全く反映されなくなります。こんな家に住むはずじゃなかったのにと後悔します。自分が住む家くらい、好きなように建てたいですよね。人生でそう何回も家を建てることはないのですから。

これ、人生と同じだと思いませんか?

人生は自分が自由に築いていけるものです。自分が築くからこそ納得のいく人生を歩めます。

あの人がああ言ったから

あなたがそう言ったから

おそらくあの人はそう言うだろうから

などと言う理由で志を曲げてしまうと、生涯に渡って人の顔色を見続ける人生になります。自分が我慢すればいい、自分が譲ればいいと思う場面もたくさんあります。私自身、それで全てが丸く治ればいいんだと本気で我慢の道を歩んでいたときもあります。

でも、他人の顔色ばかりを見ていると、本当の自分の顔を忘れてしまうんですよ。自分はどんな顔をしてたっけ?どんな性格だったっけ?それがわからなくなりました。わかることと言えば、そもそも自分はこんな生き方を望んではいなかったということ。そして、本当の自分はこんなんじゃなかったよなぁということでした。

 

誰かに何を言われても、

『自分がそうしたかったからこういう決断をしました。だから、この結果に自分は納得しています』

と言えたらかっこいいなぁと思います。嫌われることは嫌だけど、自分を嫌いになるよりはよっぽどマシかなぁとも思います。

自分史の中で、人は誰もが主人公ですし、英雄です。自分が望む人生を、自分が主導権を握って、自分らしく築き上げて生きましょう。

どんな人生にしたいのか、どんな自分になりたいのか、そんなことを気軽に語り合いませんか?

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