こんにちは。
私は、当たり前に学校に行っていて、当たり前に勉強して、当たり前に高校へ進学して、専門学校へ...そして、普通に就職をし、結婚しました。
ですから、当たり前だと思っていた社会人までの流れを、なぜうちの子どもたちは「当たり前」にできないのだろうと思い悩んだ時期が長くありました。
私には、当たり前に夢があって、当たり前に目標があって、当たり前に友達がいて、当たり前にライバルがいて、当たり前に恋をして、当たり前に悪いことはしなかったから、子どもたちのマイペースぶりや、道にそれた行動に終始不安が募っていましたし、「なんで?」「どうして?」と、怒りにも似た感情を持っていました。
テストの点や成績の悪さに
「これ、誰かに見られて恥ずかしいとかさ、これじゃまずいとかさ、あの子には負けたくないとかさ、そういう気持ちってないの?」
と子どもたちに聞いたことがあるのですが、
「自分は自分。だから、他人が〇〇だから、自分も〇〇、という気持ちにはならない」
という答えが兄妹の口から揃って出たときには、とてもビックリしました。もっとガツガツして欲しかったし、なにくそ!と思って何かに取り組んで欲しい気持ちが強かったからです。そう思うことって、「当たり前」だと思っていましたし、そう思うからこそ人は向上するのでは??と「当たり前」に教育されて育ってきた私にとってはにわかに信じがたい言葉で、私とはまるで違う生き方、考え方に心底戸惑いました。
そんなふうに育てたつもりはなかったのになぁ
何が間違っているんだろうなぁ
どうしてわかってくれないんだろう....
子育て中はこんな思いがずっと頭の中でグルグルしていました。
子どもたちが社会に出て、大人の会話ができるようになってきた今。話をするのも、話を聞く姿勢も、大分としっかりとしてきました。そんな今だからこそ思えることがあります。
なぜ、そうでなくちゃいけないって思っていたんだろう?
なぜ、自分の生き方が当たり前だと決めつけていたんだろう?
なぜ、子どもたちの生き方をそのまま受け入れられなかったんだろう?
向上心や競争心がないことに疑問を持ったし、育て方が間違っていたのかと思っていたけれども、たまたま今までがそうであって、これから子どもたちの心にどんな感情が芽生えるのかは誰にも分かりません。それに、たとえ子どもたちが今まで通りにマイペースな生き方を貫いたところで、それの何がいけないのか、私には答えが見つかりません。
私は私。
そう。
それと同じ。
子どもは子ども。
私と子供たちは違う人間。
ただ、それだけのことだったのに、ここにたどり着くまでが長かったなぁ。もっと早く気づけていたら子どもたちも私も、もっと楽だったかもしれないのに。
親の背中を見て子どもは育つ、と言われます。
だから、当たり前のことを何の疑いもせずに当たり前と思っていた私を見て、子どもたちは疑問を持ったのかもしれません。他人の目ばかりを気にして、狭い世界の中で我慢したり文句を言いながら生きていた私を見ていて、子どもたちは私とは違う道を選んだのかもしれません。
私の子育ての全部が間違っていたからではなく、私の生き方を見て子どもたちが何かを感じ、自分の生き方に反映させていたのだと思います。
『誰かと比べてどう、ではなく、今の自分がすべて。何も恥ずかしくないし、間違いだとは思わない』
そんなふうに思えることが、子どもたちの伸び伸びとした長所なのでしょう。私は子どもたちのありのままを受け入れるのに頭を使ってしまうけど、子どもたちは頭で物事を考えません。いつも、「心のまま」だったのですね。
「好き」「嫌い」「良い」「悪い」「美味しい」「まずい」「行く」「行かない」
全部、自由。
感情だけの判断が良いときもあれば悪い方に転がってしまうこともあるけれど、頭でっかちの私なんかよりもずっと心が自由だし、楽しそうだと思ってしまいます。(←今だから思えること(笑))
もっとありのままでいい。
肩の力を抜いて、生きていい。
息子も娘も私も夫も、一人一人違う。
家族であっても、同じ生き方はしない。
価値観の強要はできない。
感性に優劣もない。
本当はこういうことを子どもたちに言ってあげられる親でいたかったはずなのに、私は自分のコピーを作ろうとしてたみたいです。
世の中的にウェルカムなこと、模範解答と思われることにとらわれ、本心とは逆の行動をとったり言ったりして、私は結構な無理をしていました。
「嘘はつかないで」と言っていた私が一番の嘘つきだったことを、子どもたちはちゃんと見抜いていました。私の真実がどこかゆがんでいたから、子供たちは自分の感性を信じて明後日の方向へ突き進んだのかもしれませんね。
子どもたちは、嘘が下手です。感情がストレートで、ぶつかりやすいし誤解されやすいです。それをずっと心配してきたけれど...それは、子どもたちの個性の一つなのだと思えるようになりました。
『こうでなくちゃいけない』という考え方が人への偏見や物事の偏った見方に繋がることを、私は子どもたちに教えてもらいました。
良い子、良い母親、良い妻、良い嫁...「良い〇〇」になろうと奮闘していたけれど、私自身がそれで幸せだったかと言えばそうではありません。理想像から離れた自分の姿や状況に落ち込み、不安が募り、憤り、他人や自分を責め、どんどん自信をなくしていきました。
それはつまり、「良い〇〇」になろうとしても「幸せな〇〇」にはなれないんだということです。
良い〇〇になろうと頑張ることは悪いことではないと思いますが、頑張る方向を間違えてしまうと良い〇〇からも幸せな〇〇からも遠ざかってしまいます。
特に、良いお母さんになろうと一生懸命になっている方へ。
良いお母さんになろうと思うのではなく、どうか、あなた自身が幸せなお母さんになって欲しいと思います。
子育て中の不安、心配は一人で抱え込まないでくださいね。
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